今日も神戸へ。しかし、さすがに六甲行きはやめた。シューズが昨日の雨でぐちゅぐちゅであるし、ちょっとモチベーションが上がらなかった。
自然と人について。
昨日、そぼ降る雨の中を市街地まで下山した時のこと。
山中を一人で歩いていると、いろいろな思索をしてしまうのだが、歩きながら人間のことを考えていた。雨だというのに小鳥が飛び交っていたが、山にとって、言い換えれば自然にとって、ただ山の中をうろうろしている人間は、その小鳥となんら変わらない存在だ。ただ、そこにいる一個の生き物に過ぎない。
山における遭難や海における遭難は数あるが、雪崩にしても津波にしても、火山の噴火にしたって、自然による脅威は、太古の昔から繰り返されてわけで、人間を困らせてやれ、なんてことを自然が思っているわけではない。いつものように雪崩れてみたところに、たまたま人間がいた、ということなのである。
人間は自然の一部であった。それを意識できなくなったころから、人間に苦悩が訪れたのではないのだろうか、と哲学的なことを考えてみたりする。
市街地に降り立ったとき、特に六甲の場合は市街地の山際がまだ高台だったりするので、海まで見渡せたりする。先ほどまでの森の中から、パッと都会が開ける。どういえばいいのか、自然というか、本来の姿というべきか、人間が自然の一部であったころの風景はどんなだっただろうと思ってみたりする。江戸時代ぐらいまで遡ればよいのだろうか、もっとそれ以前か? 取り返しはつかない。と、悲しい気分になる。
あるときから、人間は生物の枠を飛び出してしまったのだろう。なまじ能力を持ってしまったために。いつの間にか、人間たちは「所有する」ことを覚え、そこに人生を賭けるようになったのだろう。
ここは俺んちの土地、俺たちの土地、わが国の土地。そこに生きる木々や草花や動物や鳥や昆虫や微生物。ひっくるめて俺のものだと主張するようになる。
レマルクの『西部戦線異状なし』に、最前線の兵士たちが「なんで俺たちは戦ってるんだろう、フランスの山とドイツの山がけんかしてるわけでもないのに」というような内容の会話があったことを思い出す。10代のころにに読んだきりなので、少し違うかもしれない。
ダイヤモンドという、ただの光る石に価値を見出し、金という鉱物に価値を見出し、所有することに価値を見出し、欲しいと思い、持つことで優越感に浸る。
人間らしく生きるということの本質はどこにあるのか? 生きるということと、社会的な地位やステイタスや所有とは本来結びつくものではないはずだ。あこがれるのであれば、美しいものにあこがれたい。虚構にあこがれる必要はない。虚構にあこがれ続ける限り、生き物としての人間に未来はない。
しかし、人間が貨幣を中心とした経済活動をしている限り、欲望がなければ経済も回らないというのもまた現実だ。それがもう、引き返せないところまできているという実感が、漠然とした絶望感につながる。
某日、某所で、およそ人が人に吐くべきではない言葉を聞いた。悲しかった。何が悲しかったのかというと、聞いたこととよりも、人の中に人に対する言葉としてそんな言葉が用意されていることが悲しかった。ある意味では人というものに絶望した、といっていい。
しかし、それもまた人間なのだ。
人間は愛すべき存在であって欲しいと願う。俺もまた人間だから。
たまたま、有島武郎の『生れ出ずる悩み』を読んだ。名前は知ってるけど読んだことのない名作は数あるが、これもそのひとつで、ずいぶんと前に買っていたのだけど、つい2、3日前に電車の中で読むものがないなと、本棚から引っ張り出したのがそれで、まあ、読んでみるか、と開いてみた。
純粋に懸命に、誠実に生きようとする人間が描かれていた。たまたまだったが、少し、ほっとした。
しかし、文学者にしろ何にしろ、生き方や人間の存在や、そういうものを、冷徹にではなく、熱く突き詰める人たちってのは、結局、死を選んでしまうのよね。武郎くんは心中してしまったわけで。これは強いとか弱いとかではないわけで。「現実」というのは、そういう人たちを受け入れるだけの懐の深さがないのでしょうな。
人間の本質は何なのだろう。
次の世代に何かを伝えていくこと。生き物として考えるならば、そこに行き着くしかない。であれば、本当に美しいものを伝えなければ。虚構に彩られた美しさや価値観は時代とともにいずれ変わる。そんなものを伝えるべきではない。
バカ、アホ、青臭い、などという声が聞こえてきそうだが、そう思う。欲望は人間にとって不可欠な感情だろうが、意味の無いものに対する欲望は、争いを生み、侮蔑を生み、妬みを生み、見栄を生む。苦しみを生む。
所有に固執し始めたとき、人間は苦しみを覚え、悲劇が始まった。
あるがままに。
自然の中に身をおいた時、そこには社会的地位や肩書きや、ともすれば、己の名前さえ関係ない。自分という人間がそこにいるだけ。あなたという人間がそこにいるだけ。
あるがままに。