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2009年3月

2009年3月31日 (火)

湖南アルプスの巻

 何を隠そう、湖南アルプスにははじめていった。北側にある金勝アルプスは、何度か足を運んだのだが、こちらは何かぴんと来なくて登りそびれていた。

 結論から言うと、湖南アルプスと呼ばれる田上山系(「たなかみ」と読む)の主峰、太神山(「たなかみやま」と読む)はアルプスではなかった。つまり、全然アルペン風ではなかったのだ。

 そもそも、アルプスとは何ぞや。今、明治の志賀重昂の『日本風景論』に関する本を読んでいるが、昔から日本人は外国のものと比較して自国のものの価値を再確認する傾向があるようだ。そして、外国、特に欧米が認めたものをありがたがる。江戸期までは中国、西欧を意識するのは明治以降のことだ。

 そう言われると、確かに、いいものはいいものとして、それだけでいいのに「日本アルプス」と呼んでみたりする(W.ガーランドが命名)。湖南アルプスが、本家のアルプスをもじったのか日本アルプスをもじったのかはわからないが、まあ、アルペン風のという意味だろう。大体、「○○アルプス」と呼ばれるものは、岩が露出した岩稜を言うことが多い。ちなみに関西のマッターホルンは奈良県の高見山である。

 さて、説明版によると、大正期に京都の登山家たちが呼び始めたらしい。

Img_4903s 田上山系は、藤原宮造営のために大量の木が伐り出されたところで、禿山だったことは有名だ。そのためにたびたび大水が出て、天神川流域、ひいては瀬田川流域に水害をもたらした。これは、先に書いた里山と通じるところがあるのだが、江戸期から明治にかけての里山は、薪炭林としてかなり伐採されており、現在われわれがイメージする里山ではなく、禿山が全国的に多かったようだ。

 「湖南アルプス」と呼ばれたのが大正期。まあ、そのころはれっきとした禿山で、山の風貌も確かに荒々しかったに違いない。しかし、太神山の登山道はすっかり樹木に覆われて、アルプスはまったくイメージできない。

 下山後、前衛峰の堂山に登った。

 おお、これはこれは、アルプスと呼ぶにふさわしい山。Img_4928s

 ちっこい割にダイナミックな山容をしている。単純に山を楽しみたいならこっちのほうがおすすめ。ただし、道が複雑なので、地形図は必携です。

Img_4823s  山岳宗教の雰囲気を味わいたいなら太神山へ。

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2009年3月27日 (金)

コバノミツバツツジとみぞれと虹

 24、25日と六甲山に出かけた。1ヶ月以上ぶりの山である。

Img_4639s  24は荒地山。城山のコバノミツバツツジの回廊を期待して出かけた。今年の春は早いという感触を得たからであるが、意外とそうでもなく中腹までは咲いていたが、メインと考えていた城山頂上北の尾根道は、つぼみもまだ固く、あと1~2週間はかかりそうな雰囲気であった。

Img_4663s  ついでだが、僕の記憶違いか、荒地山の岩梯子の上は、あれ、こんなにルートファインディングが必要だったかな、というくらい道がわかりにくかった。山登り初心者の方には岩梯子を登るのではなく迂回路を歩くことを薦めたい。

 さて、25日。芦屋ロックガーデンまで登ったところで電話が鳴り、とどまることを余儀なくされた。4時間ほど、人待ちでロックガーデンの看板がある岩頭に居座ることになった。

 雨は降るわみぞれは降るわ、日は差すわで、天気はめまぐるしく変わった。寒いの何の。震える震える。歩いていればさほどではないものの、ジッとしていることのつらさといったら。途中、日が差し、城山に虹がかかった。何年ぶりかに見た虹だった。

Img_4743s_2   登りしなにコースを聞いてきた3人連れの親子が風吹岩から往復してきたので、虹がかかっていることを伝えた。小学生3、4年ぐらいの男の子2人は歓声を上げた。お父さんは一所懸命ビデオ撮影。太陽に雲がかかりそうだったので、僕も含めて4人で「太陽がんばれ、太陽がんばれ」とエールを送る。急に降られたみぞれには閉口しただろうが、それでも満足そうに山を下っていく親子3人に、心の中で「また来てね」とつぶやいた。

 つらい中での、つかの間の幸せだった。

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2009年3月19日 (木)

たまには私事。読まないでね。4

 今日、久しぶりに以前の上司に電話をした。

 3月15日に、写真家の真島満秀さんが急逝したことを知った。

 鉄道写真の第一人者であり、その旅情をそそる写真は、僕の中では、ちょっと特別だった。刷り上げたもの、例えばJTBの時刻表の表紙でその写真にふれた事のある人も多いだろう。そういう意味では、僕は幸せ者であった。そのスリーブを何百枚と見ることができたのであるから。そのすごさはちょっと言い表すことができない。鉄道写真のよしあしは僕にはわからないが、駅を往来する人々の暮らしに入り込み、生活感あふれる写真。状況の悪さを逆手に取り一瞬を捉える目と技術。

 僕がお付き合いしてきた多くのカメラマン・写真家のなかでは間違いなくトップクラスである。

 ジーンズ姿で颯爽と編集部に現れ、ぺーぺーの僕にも「加藤ちゃん」と親しく接してくださった。一緒に泊まりで鈴鹿峠の取材に行ったのは何年前か。写真を撮っている時の厳しさと気迫。被写体との接し方。プロの仕事とはこういうものかと教わった。濃密な時間であった。

 その帰り、西宮に寄ると言う真島さんを乗せて車で国道1号をひた走った。助手席でビールを飲みながら、真島さんはいろいろな話をしてくださった。仕事のこと、写真のこと、人との付き合い方、上司をいかに信頼しているか、などなど。

 仕事もさることながら、ひと言で言えば「かっこいい人」であった。そして、人情に厚い人であった。年をとったらああいう人になりたいと思う、憧れの人でもあった。

 僕にいろいろなことを教えてくださった人は他にもたくさんいる。そして、僕は年を重ねるごとに、こういう訃報を耳にせねばならないのだろう。

 そのたびに僕は心の中でありがとうございましたと、言い続けるしかないのかもしれない。

 真島さん、ありがとうございました。もっと、真島さんの写真が見たかったです。残念です。

 ご冥福をお祈りします。Img_4631

『楽歳 No1』(2006年、山と溪谷社)より

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2009年3月16日 (月)

第5回吉野熊野国立公園大杉谷歩道基本計画検討会

 本日、三重県大台町にて、大杉谷歩道の検討会があったので報告しておく。

 被災箇所の整備方法だが、なんとなく方向性が見えてきた。

 ひとつは下流域の平等嵓の流失した吊橋だが、再建することで決着がつきそうである。

 懸案は、光滝の大崩落地である。案としてはいくつかあり、A吊橋を架ける、B大きく迂回する、C未整備のままにする、D右岸側の崩落地にルートを整備する、の4案が上がっている。

Img_2769  過去、死亡遭難が多発してきた大杉谷においては安全がキーワードとなっていて、入山者を、登山者なのか、ハイカーなのか、はたまた観光客なのか、どの層に設定するかで、整備方法が大幅に変わってくる。

 安全な整備というのであれば、Aの吊橋を選択せねばなるまい。しかし、莫大な費用がかかるとともに、自然に与えるダメージがあまりに大きい。

 Bは、登山者にかける負担があまりに大きすぎ、早々に却下されている。

 Cは、谷のど真ん中を通るコースのために、増水時はコースが寸断されてしまうことになる。

 残るはD。僕も含め、委員の頭の中は、ほぼ、この案で固まっているといってよいだろう。ただし、誰もが入れる場所としての設定は難しくなる。つまり、登山者用の道であって、観光客は基本的に対象外と考えざるを得ない。入山禁止にするわけにはいかないだろうが。

 結論は環境省と地元自治体の協議で決まることになる。

 今回で実質、検討会は終了だ。今年の夏か秋に平等嵓に関しては現地に入って議論することだけは予定されている。そこで、あれやこれやと具体的に検討することになる。

 検討会というのは、そもそも有識者や関係者の意見を聞くという場であり、決定の場ではない。

 ここからは、過去、5回の検討会に参加した感想を述べる。

 当初は失礼ながら、最初から結論は決まっており、形だけ有識者の意見を聞く、いわば「できレース」的な場かと思っていた。省庁が主催する検討会や委員会には実際にそういうケースは多いようだ。しかし、今回の検討会に関しては、たたき台の案としてはいくつかでていたものの、多くの意見に耳を傾け、実現化していくという姿勢が垣間見え、とても好感が持てた。

 結果はまだ出てはいないが、過剰整備の方向には行かないと思っている。

 被災は平成16年であった。最終的に開通するまでの道は遠い。大杉谷は足掛け10年近く、通行止めであったことになるだろう。Img_2788

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2009年3月10日 (火)

ほっとひと息。山の飲み物。

 久しぶりに、ほっとひと息。ほんとに久しぶりに、たかが1時間程度だが、本屋に行くことができた。それだけでこんなにリフレッシュできるとは。そんな異常な状況。

 青山舎の檀上氏から、山にお誘いの電話があった。しかし、そのたった1時間が、今週の僕の休暇なので、残念ながらお断りした。とりあえず、今も休暇中。あと、30分もしたら、今週の休暇を終えるつもり。

 しかし、本屋を見ても不毛。新書コーナーなぞは、新刊書は不景気をキーワードにすえたものが大半だ。

 どうでもいいので、話を変えます。

 登山中の飲料について。アイソトニック飲料とハイポトニック飲料のことを書籍に書こうと思い、写真を撮ろうとコンビニに行ったのだが、アイソトニックはあったが、ハイポトニックはなかった。何が言いたいのかというと、コンビニはとても使い勝手がいいが、商品の回転が速すぎて、なかなか断定的なことがいえないのが玉に瑕、ということである。

 ハイポトニック飲料は、一時期よくコンビニで見かけて山によく持って行った。ブランドで言えば、「アクエリアス」はアイソトニック飲料で、「アクエリアスゼロ」はハイポトニックということになるんだ、と思っているが、細かいデータがないのでなんともいえない。だいたい、ゼロの方は商品そのものが棚から消えていた。コンビニにはなかったが、味の素のアミノバイタルや、アサヒ飲料のSUPER H2Oはハイポトニックをうたっている商品だ。

 ちなみに、糖分の高いアイソトニック飲料は運動前に、吸収されやすいハイポトニック飲料は運動中や運動後に摂るのがいいというのが、現在の通説だ。

 そして脱水症状などのときに最も吸収がよいとされるのが、経口補水液。

Img_4589s  写真の右側はコンビニで買ったもの。左は薬局で買ったもの。見た目、やはり薬局の方が硬派な感じがする。「売れる商品」を置くコンビニよりも、多少(やはり商売だから多少だが)「専門性のある商品」ということなのだと思う。薬局側の小さなボトルが経口補水液だ。

 ドリンク類は、商品そのものににアイソトニックやらハイポトニックやらと書いていないが、まず、コンビニにあるスポーツドリンクはアイソトニック飲料と考えた方がよいようだ。で、水も一緒に持っていておいて、2~3倍に薄めてしまえばハイポトニック飲料になる。

 山では水よりも飲みやすいし、汗と一緒に出たミネラル分が補給できるので、よいのではないかと思う。

 以上、休暇終わり。

 ○×さん、△□さん、待たせてすんません。すぐ仕事再開します。

 

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2009年3月 7日 (土)

里山のこと2 四手井先生

 さて、定期的に読んでいただいている方もいるようなので、あまり間を空けるわけにも行かず、さりとてフィールドに出ているわけでもなく、何を書こうかと迷った。

 で、まあ、時々勉強も兼ねて、里山の本を読んでいるが、その中で、京大の四手井綱英先生の話が出てくる。

 先生は森林生態学の草分けであり、ご本人によれば、「里山」という言葉を作ったのは、私だ、とおっしゃっている。言葉そのものは、もっと以前からあったようだが、「里山」の再評価をしたことについては一定の評価を受けている。

Img_4587 本棚を見ると著作がいくつかあったので引っ張り出してみた。

 難しい話は、なし。ちょっとした思い出話です。

 僕が、原稿のお願いに山科の先生の御自宅に伺ったのが2002年。京都北山に関する原稿依頼であった。今西錦司らのいた京大山岳部出身であり、北山の昔話を書いていただいたのだ。

 最初は電話であったが、耳が遠いので、手紙でやり取りするか自宅に来なさい、という。2度ほどお邪魔したか。きのこ学者である奥様が迎えてくださった。

 足をお悪くされていた記憶がある。お話中に時々咳き込まれるので、こちらはそのたびにどぎまぎした。なにせ、当時でさえ90歳を越えておられた。

 何か思うところがあったのだろう、林道の話をしきりにされていた。要るもんは要る、と。

 多分、1992年に決着した八丁平林道の話で、調査を依頼された四手井先生は、条件付とはいえゴーサインを出した。多くの批判を受けてたのだと思う。

 学者という立場は難しい。このような調査依頼を受けた時、結論次第では「御用学者」と批判される。そういう例は他でもある。

 僕には是非はわからない。しかし、先生の著作を読むと、自然を愛しておられることだけは、間違いないと感じている。出会ってしまうと、その人に対しての評価がどうしても甘くなってしまうところが、僕にはあるのだ。ジャーナリズム的に考えるといかんのだろうが。

 林道は自然保護団体の活動があり、ルート変更という形をとって開通にいたった。

 数年前、環境番組に出演されている先生を、久方ぶりに拝見した。鼻にチューブを入れておられたのが痛々しかったが、御健在であることがわかりほっとした。

 さて、先生にお願いした原稿は『ヤマケイ関西 京都北山』に掲載した。「原稿料は図書券にして。そこに置いといたら孫たちが持っていきよるから」と、おっしゃるので、出版後に、金券ショップで図書券を購入して、先生にお送りした。

 1911年生まれ。今年で98歳になる。100歳まであと少し。

 

 

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2009年3月 3日 (火)

最近頻繁に私事。ぼやき編

 すいません。多忙すぎて、山行きの話題が書けませんです。

 更新すべきなのですが、更新すべき内容も……。再来週には何とか……。

 そこで、世の中、不況でゲスなあ。などと嘯いてみたりもする。

 わが業界、いや、山に不況なんぞないのだが、経済活動でいうところのアウトドア業界。もともと、1月、2月はあんまりよくない時期、つまり底なんですな。しかし、雰囲気的に、じわっと来てる感じもする。

 もっとおおもとのわが業界、出版業界なんぞ21世紀に入るころには「出版不況」とうたわれ、そろそろ10年が経とうとする。

 ネットを使ってて、こんなこと書くのもなんだが、ネットだけじゃなくて本も読まんと、経済的には知ったこっちゃないが、文化的にこの国はどうなるのかね、と思わないでもない。

 大体にして、本作ってる人間がどれだけ本を読んでいるか、愛しているか、最近は微妙な感じもする。

 難しいやね。みんな生き残りに必死だからね。

 なんか出すことに意義がある本なんて、出版する余裕なんてどこもないもんね。

 いや、あるか。ああ、昨年、在阪の出版社を訪問したところ、うちは何年も長い時間をかけて売れる本しか出さないといってたわいね。数十年のロングセラーがあって、担当者がもう他界していて重版の時や問合せがあったときに困るなんて本があるらしい。

 これなんか稀有な例でね。

 内容のいい本が売れる本じゃなくて、売れる本がいい本だからね。こりゃなかなか、どういっていいのか。売れる本っちゃあ、テレビ本やタレント本だったりもするんだけども、じゃあ、絶対売れるかってえと、なかなか。一番堅いのがテレビの番組本かねえ。

 そういやオイラも最近は芥川賞作品も読んどらんけん。まだ『文芸春秋』売っとるんかいのお。正直なところ、直木賞作品の方が、オイラ面白いんじゃけんど、『オール読物』には一部しか掲載されんので、あんまり買わんのでかんわ。でも、ちゃんと買って読まにゃいかんと思っちょるンでよお。

 でも、その前に読んどかにゃいかん作品もいっぱいあるでよ。まだまだじゃわいのう。

 いかんちゃ。わし、何人かようわからんようになってきよったで。 

 ま、今ンところ日本人ちゅうことだからよかんべか。

 さ、寝るべ、寝るべ。

 

 

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