湖南アルプスの巻
何を隠そう、湖南アルプスにははじめていった。北側にある金勝アルプスは、何度か足を運んだのだが、こちらは何かぴんと来なくて登りそびれていた。
結論から言うと、湖南アルプスと呼ばれる田上山系(「たなかみ」と読む)の主峰、太神山(「たなかみやま」と読む)はアルプスではなかった。つまり、全然アルペン風ではなかったのだ。
そもそも、アルプスとは何ぞや。今、明治の志賀重昂の『日本風景論』に関する本を読んでいるが、昔から日本人は外国のものと比較して自国のものの価値を再確認する傾向があるようだ。そして、外国、特に欧米が認めたものをありがたがる。江戸期までは中国、西欧を意識するのは明治以降のことだ。
そう言われると、確かに、いいものはいいものとして、それだけでいいのに「日本アルプス」と呼んでみたりする(W.ガーランドが命名)。湖南アルプスが、本家のアルプスをもじったのか日本アルプスをもじったのかはわからないが、まあ、アルペン風のという意味だろう。大体、「○○アルプス」と呼ばれるものは、岩が露出した岩稜を言うことが多い。ちなみに関西のマッターホルンは奈良県の高見山である。
さて、説明版によると、大正期に京都の登山家たちが呼び始めたらしい。
田上山系は、藤原宮造営のために大量の木が伐り出されたところで、禿山だったことは有名だ。そのためにたびたび大水が出て、天神川流域、ひいては瀬田川流域に水害をもたらした。これは、先に書いた里山と通じるところがあるのだが、江戸期から明治にかけての里山は、薪炭林としてかなり伐採されており、現在われわれがイメージする里山ではなく、禿山が全国的に多かったようだ。
「湖南アルプス」と呼ばれたのが大正期。まあ、そのころはれっきとした禿山で、山の風貌も確かに荒々しかったに違いない。しかし、太神山の登山道はすっかり樹木に覆われて、アルプスはまったくイメージできない。
下山後、前衛峰の堂山に登った。
おお、これはこれは、アルプスと呼ぶにふさわしい山。
ちっこい割にダイナミックな山容をしている。単純に山を楽しみたいならこっちのほうがおすすめ。ただし、道が複雑なので、地形図は必携です。
山岳宗教の雰囲気を味わいたいなら太神山へ。
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24は荒地山。城山のコバノミツバツツジの回廊を期待して出かけた。今年の春は早いという感触を得たからであるが、意外とそうでもなく中腹までは咲いていたが、メインと考えていた城山頂上北の尾根道は、つぼみもまだ固く、あと1~2週間はかかりそうな雰囲気であった。
ついでだが、僕の記憶違いか、荒地山の岩梯子の上は、あれ、こんなにルートファインディングが必要だったかな、というくらい道がわかりにくかった。山登り初心者の方には岩梯子を登るのではなく迂回路を歩くことを薦めたい。
過去、死亡遭難が多発してきた大杉谷においては安全がキーワードとなっていて、入山者を、登山者なのか、ハイカーなのか、はたまた観光客なのか、どの層に設定するかで、整備方法が大幅に変わってくる。
写真の右側はコンビニで買ったもの。左は薬局で買ったもの。見た目、やはり薬局の方が硬派な感じがする。「売れる商品」を置くコンビニよりも、多少(やはり商売だから多少だが)「専門性のある商品」ということなのだと思う。薬局側の小さなボトルが経口補水液だ。
本棚を見ると著作がいくつかあったので引っ張り出してみた。