2009年6月29日 (月)

名所図会と山

 すいません。先週、山に行っていないので、特に書くことがありません。行かなきゃならん山やコースもあるんですが、今週も雨が続くようなので、うーん、しばらくどうかな、という感じです。

 ところが、中之島中央図書館には2回ほど行きました。各地の名所図会を片っ端から閲覧しました。もちろん関西ですが。

 名所図会は大体江戸時代のガイドブックですな。探したのはまあ、僕の場合「山」です。

 たとえば河内名所図会なら、金剛山や葛城山、二上山(二上嶽となっています)、大和名所図会なら大峯山、という具合です。

Img_8211  山の格好の図会や寺の境内図のようなもんが多いが、実はそういうのはあんまり面白くない。面白いのは、数は少ないが、当時の登山の様子やその周辺の風俗などがわかるもの。たとえば、大和名所図会では大峯のところで、山から下りてきた講(小松組とある)の修験者の股の下に親が子供をくぐらせている。また、くぐっている童子も2人。これなどは、当時の修験者に対する尊敬の念と風習が垣間見える。嫌がって逃げようとする子供も描かれているところなど、書き手のユーモアも伺える。

 つい最近まで残っていた風習のようで、麓の洞川のおばあさんあたりなら覚えている話だと思う。

 と、いうふうに、ここにいろいろ書いていくと、いざというときにネタがなくなるので、この辺で、さようなら。

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2009年6月26日 (金)

今週は山はなしで、手塚治虫の話

 久々に山に登らない1週間だった。

 しかし何かしらばたばたしている。デスクワーク?をしているといえば、まあ、そういうことになる。

Img_8208 昨日は手塚治虫先生の、ものすごく、むちゃくちゃファンである田浦さんという女性と打ち合わせをした。まあ、そのファンぶりは、手塚先生の足跡をたどる「虫マップ」なる小冊子を作成するほどである。淀屋橋の交差点の喫茶店で待ち合わせて、その足で、というか、その喫茶店の上の石原時計店へ。そう、その石原社長が手塚先生の小学校時代の同級生であった。

 なぜ、手塚治虫かといえば、その少年のころ、昆虫採集に夢中であったことは有名で、それを追求することで、今度の雑誌でなにかしら、子供のころに自然に触れる大切さを伝えることができないか、ということなのである。

 舞台は宝塚やその周辺は、手塚作品の小品で、手塚本人がモデルと思われる話にいくつか登場する。戦時中の悲話が多いが、最後のコマで、主人公が、今は住宅地となった雑木林や森を見ながら、当時を追想するシーンで終わる。

 なんのこっちゃわからないと思う。まだまとまりきってはいないが、もう一歩取材を進めれば、骨子が見えてくると思う。

 肖像権のことがあり、石原さんに見せていただいた能勢妙見山での虫取りの写真がお見せできないのが残念だ。なかには遠足で六甲山に登った写真もあった。戦前のことだから、六甲山頂には、今は影も形もない楠正成の像が立っていた。

 長年、どこかでやろうと思っていた企画なので、大切に膨らませて生きたいと思う。

 

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2009年6月23日 (火)

二人の「つねお」

 先日、東京神保町で購入した古本に、中公文庫の『岩壁よ おはよう』がある。著者は長谷川恒男。1991年、ウルタルで帰らぬ人となった。

 前から気になってはいたものの、手に入れることができなくて、ここに来て遅ればせながら読んだ。

Img_8189  『狼は帰らず』の森田勝にも共通する、この年代特有の、生き辛い社会での焦燥感というのか、登山に自分の生きる道を見つけ、ガムシャラに岩壁に挑む姿が描かれている。そのあとがきの最後の言葉が「確かな足どりで一歩一歩登り、一歩一歩生きてゆきたいと思います」である。解説の川村精一さんが、「それにしてもどうか健康に気をつけ、山で事故を起こすことなく」と念を押すように語っているのが、その後を知っているわれわれからすれば、切ない。淡々と語っているようで、実は行間から強烈で挑戦的な個性がにじみ出るその文章から、一歩踏み間違えば消えてしまいそうな命の火のあやうさを感じ取っての言葉のように感じた。

 本書には当然ながら、多くの登山家が、パートナーとして、あるいは同じ登山隊の一員として登場する。その中に僕がお付き合いいただいている日本山岳会支部長の重廣恒夫さんがいた。第2次RCCのエベレスト南東壁登攀(昭和48年、南東壁は断念し南東稜を加藤保男が登頂)で、一緒であったことは知っていた。ちなみに、この登攀では森田勝も一緒であり、森田勝はグランドジョラス、加藤保男はエベレストで散った。

 重廣さんについては、RCCⅡのエベレストに先立つこと3年前の昭和45年12月、甲斐駒ヶ岳赤石沢の冬季登攀を長谷川恒男・重廣恒夫・金坂利明の3名で完登した記録が書かれていた。

 RCCⅡのエベレスト以降、組織登山と決別し、単独登攀に傾倒し、アルプス三大北壁冬季単独登攀など華々しい登攀を行って散っていった長谷川恒男と、組織登山で統率力を発揮しヒマラヤ登山史に傑出した記録を刻んだ重廣さん。対照的な2人の「つねお」である。

 甲斐駒ヶ岳のページの文末は「新しく関西によき仲間が生まれたこともうれしかった」と締めくくられていた。

 二人の差は一見、生死にまで影響しているように見える。しかし、それは表面上のことだ。この時代に活躍した人の山での訃報がたまではあるが、途絶えてはいない。60を超えた重廣さんがぎりぎりの登攀をするとは思ってもいないが、このGWには残雪のアルプス・硫黄尾根を縦走している。単独では危険と判断して今回はパーティを組んだということを日本山岳会関西支部報135号には書かれていた。まだまだクライマー魂は衰えてはいない。

 ところで、本書は植村直巳の『青春を山にかけて』に通じるような、若者の夢を追って戦うさわやかな姿が描かれているが、専門用語も多く、一般の読者には少々わかりにくいかもしれない。

 しかし、ほんの10年ほど前まで、クライマーたちの文章が文庫化されていたのだなあ、と思うと隔世の感がある。いや、廃刊になっているわけではないのだろうが、まあ、本屋に並ぶことはなかなかない。

 ついでだが、古本とはいえ、本を開いてみると、ソースのついた爪楊枝がこびりつくように挟み込まれていた。前の持ち主がたこ焼きでも食っていたのだろうが、そんなもんしおりにして、しかも本屋に売るな! (以上、敬称略)

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2009年6月20日 (土)

アリマウマノスズクサ

 で、日本山岳会関西支部の自然観察会は、六甲の北部、逢ヶ山から流れ出る奥山谷で、シニア自然大学の児玉勝久先生を講師に行われた。

Img_8086s  お目当てはこの時期に咲いているというアリマウマノスズクサ。なんともウツボカズラみたいで食虫植物のようやな、と思っていたら、食虫植物なんだそうである。

 しかし、一方で、ジャコウアゲハの食草なんだそうである。だもんで、ジャコウアゲハがたくさん舞っていた。そして、その葉の裏に幼虫がいた。Img_8089s

 目的そのものは、アリマウマノスズクサの花を見ることであったが、結果的には、そのウマノスズクサ類を食草とする蝶を見ることによって、食物連鎖、広い意味では生物多様性に触れることになったのではないかと思う。

Img_8065s  ウマノスズクサは珍しい植物ではない。しかし、たとえば何らかの理由でウマノスズクサがこの地域で絶滅したとする。そうすると、ジャコウアゲハはこの地域では見ることのできない蝶になる。一方で、何らかの理由でジャコウアゲハが絶滅したとしよう。そうすると、やたらとウマノスズクサが繁茂して、植生のバランスが崩れるかもしれない。

 そういうことを、頭に浮かべながら、周辺の植物観察を続けた。そんな微妙なバランスの上に成り立っている自然の一端を垣間見れたことは、収穫であったと思う。

 参加者は、僕の親よりも年上の方もいるような、大先輩方たちばかりであったが、まあ、皆さん元気で、神戸から六甲を越えて有馬口にやってきて、観察会終了後、また、六甲を越えて帰るという人もいる。

 夜行バス帰りでなければ僕もそうしたかも知れぬが、さすがにその元気もなく、今回はすごすごと退散することにした。

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2009年6月18日 (木)

東京へ。ほんで、六甲へ

 一昨日、昨日と久しぶりに東京へ行った。

 月曜日、夜行バスに乗り、早朝東京へ、世田谷のE社、日比谷公園近くのG編集部、一ツ橋のT社へ。そんで、夜は、東京在住の先輩と新宿で飯を食った。

 四谷の安宿で一泊し、翌日は朝からYKデイ。事務所が最近移転したのだが、こないだまでは、部外者が入れなかったところが、接客スペースの都合もあって入れるようになっており、久々に多くの知った顔を見ることができてうれしかった。もう自分の会社ではないのでわきまえなければならぬのだが、何とはなしに安心感がある。

 近所に靖国神社があり、朝飯を食った後、事務所に立ち寄る前にのぞいていこうと歩道を歩いていると、ばったりそこで昼から打ち合わせする久保田さんに声をかけられた。一駅向こうの九段下から毎日散歩がてら歩いてくるのだという。「この辺の森がいいですよ」と教えられ、神社に入った。

 YKの事務所に入り、まず午前中の打ち合わせは神長さんと。ひとしきり話して、久保田さんとバトンタッチし、そこにYK編集部の大畑さんが入ってきたりして、その後、大阪支局で世話になった藤井さんとおしゃべり。昼飯を久保田さんにご馳走になった後、事務所に帰ってきたところへ、お昼休みのランニング帰りの神長さんが。もう、昔から神長さんが昼休みにランニングしていたのは知っていたが、その姿に遭遇したのは初めてである。

 で、今度はデザイナー氏も交えて久保田さんと打ち合わせ。その後、来週公開の映画『剱岳 点の記』の試写会に行く藤井さんと、試写会が終わる夜九時に会いましょうと約束し、晩飯を食う約束をしているYK編集部のまっちゃんに、せっかくだから神保町の古本屋にでも行ってきたらと言われ、小一時間、教えてもらった悠久堂で山岳書をあさった。

 昭和35年の『山と溪谷』臨時増刊「近畿の山々」が手に入った。昔、中村圭志さんに見せてもらった大杉谷の七ツ釜滝が表紙になったやつだ。200円也。

 さて、まっちゃんには来阪した折に飯代を出してもらったので、今宵は僕が出そうと思っていたのだが、YKが出してくれるというなんともありがたい話なので、ご相伴に預かった。

 そして夜九時、新宿で藤井さんと夜行バスの時間までお茶をしたのである。めまぐるしい2日だったが、いい感じであった。

 夜行バスで東京に行ったのは、十数年ぶりのことである。えらいしんどかった記憶があったが、まっちゃんが関西に来るときは夜行バスで来るよ、というようなことを言っていたので、そんなもんかと今回はそうしてみた。体力的にはともかく、時間的な効率はいい。で、行きは意外と眠れたのでいい気になっていたが、帰りは寝たのかただ目をつぶっていたのかよくわからない。

 で、話はここで終わらない。朝7時に難波に着いて、マクドナルドで軽く朝飯を食った後、事務所に戻り山行きの準備をして、神鉄有馬口へ。日本山岳会関西支部の自然保護行事の自然観察会へ参加したのだ。

 お目当てはご当地の名を冠した植物、アリマウマノスズクサである。

 ああ、しんどくなってきたので、その模様はまた明日。

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2009年6月14日 (日)

六甲全山縦走路、タウンの部

 昨日朝、昼からの一仕事の前に、六甲全山縦走路で歩きそびれていた高取山前後の街中を歩いた。

Img_7966s  いい加減暑くなり出したのだなあ、と思いながら歩いていたが、神戸市営地下鉄妙法寺駅周辺、神鉄鵯越周辺を、依然歩いて時は地形図だけ持って歩いていたので、道標頼りではどうも縦走路をうまくたどることができなかった。

 今回の取材で、その理由がはっきりわかった。つまり、こういうことだ。

Img_7963s  六甲全山縦走路は、毎年秋に行われる六甲全山縦走大会を念頭に整備されている。で、大会の順路は西から東への移動となる。山中は角材を用いた道標であるから、各方面への行き先等を記述してあり、問題なく縦走路をたどれる。

 しかし街中はどうか? 縦走路を示す道標はある。が、主に電信柱を利用し、単純に「六甲全山縦走路」という文字と矢印だけが表記されているものである。たとえば曲がり角であればその近くの電信柱に右なり左なりの矢印があるわけである。

Img_8010s  西から東へたどる場合は、道標頼りに歩けるが、東から西へ逆送する場合、電柱の道標を見落としがちなことと、そこが曲がり角であることが、その場で立ち止まってよく考えないことにはわからないのである。

 いろいろな事情があるので批判するつもりはないが、市街地の通過を避けられないというのは、まあ、仕方のないことだし、標柱を立てられない事情もあるだろう。

 ちなみに、先日踏査した京都一周トレイルの道標は、街中でも標柱であり、また、地図入りであるので、市街地は間違いなく京都一周トレイルのほうが歩きやすいように感じた。

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2009年6月11日 (木)

東山。比叡山と大文字山

 例の雑誌の取材で京都東山へ。

 先日来、山に行くときは連れて行って欲しいと、店で一緒のM君に頼まれていたので、まあ、いい機会かと誘ってみると、二つ返事であった。で、天気が悪いかも知れんがと言ってもかまわんという。

 朝8時に淀屋橋駅で待ち合わせ、京阪特急で出町柳へ。叡山電鉄に乗り換え修学院駅に着いた。9時30分ごろのことである。

 今日は、基本的には京都一周トレイル東山コースの北半分の踏査であるが、彼は山登りをしたいであろうからと、まず比叡山に登ることにしたわけである。彼は山歩きはまったくの素人だと言っていたが、道すがら話しを聞いてみると、まあ、ほんとに山に登った経験がないようであった。

Img_7782s  登りは京都側からのもっともポピュラーな道である雲母坂を登った。見るものすべてが新鮮なM君を見て、僕も新鮮な気分になった。特に展望があるわけでもなく、だらだらと続く林間の道である。これではあまり変化がないのでつまらなかろうと思ったが、森歩きそのものを新鮮に受け止めて楽しんでくれていたようなので、こちらとしては肩の荷が降りた。

Img_7839s  つまらぬ場所だが、比叡山山頂である大比叡の三角点を踏んで、雲母坂を半分ほど下り、京都一周トレイルを南下する。

Img_7850s  先日訪れた瓜生山をかすめて、市街に降り立ち哲学の道へ。余力があれば登ろうかといっていた大文字山だったが、M君、思いのほかタフなようなので、午後3時を回っていたが、トレイルに沿って谷道を登った。山頂を経て京都市街を展望する火床へ。

Img_7933s  雲間から差すレンブラント光線に包まれた京都の町を見下ろしながら「山登りは人生ですね」と、ありきたりではあるが、なかなか気取ったことをM君が言う。何でも構わない。山に誰かを連れて行ったとき、何かを感じ取ってもらえるなら当方としてもうれしいし、連れてきた甲斐がある。話をしながら、こちらとしてもいろいろと得るものがあった。

 午後5時過ぎに、出町柳駅着。結構な距離を歩いたので、彼は今日はぐっすりと眠れるだろう。よくがんばったと思う。

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2009年6月 8日 (月)

富士山

 富士山である。猫も杓子も、富士山である。

 日本人の心に住み着いた山、とでも言えばいいのか。山に触れてもらうという意味では、この富士山ブーム、非常にありがたいことといえるのだが、気になるのは、「山に登る」のではなく、「富士山に登る」という目的しか持っていないことである。

 気持ちはわからないでもない。「山」に興味はなくとも「日本一の富士山」には、みんな興味があるのである。それで、せっせと道具を揃える。

 靴、レインウェア、ザック。登山人口30万人、そのほとんどが7月8月に登るとはいえ、標高第2位の北岳を大きく引き離して3700mを越える高山だ。荒れれば大変と、それなりの道具をそろえなければならない。で、それらを「山に登る道具」と考えてくれればいいのだが、不景気とはいえ、日本人は結局のところみんな裕福なのか、「富士山に登る道具」としか考えてなかったりする。

 で、「富士山だけでなく、日本アルプスや近郊の山にも登ってくださいよ」と、声をかけて送り出すことになる。

 屋久島しかり。

 自然に興味を持って欲しい。そう思うのである。

 取っ掛かりは富士山でも屋久島でもいい。そこから世界を広げてください。

「せっかく大枚はたいて買った山道具だから、いっぺんアルプスでも行ってみるか」と気まぐれを起こしてください。

「うわ、こんなところが日本にあったのか!」と、目からうろこを落としてください。

 きっともっと自分たちのすむ日本という国(行政や国体の意味ではありません)が好きになると思います。

 そんなことを、日々考えていたりする。

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2009年6月 4日 (木)

六甲の表銀座を歩く。で、有馬温泉はタダの巻

 そんなわけで、雑誌の取材。

 今日のメンバーは、5月に梶浦さんと歩いたメンバー+新メンバー、そして滋賀在住カメラマンの宮田さん合わせ、僕も入れて総勢11人であった。

 20代から40代の構成で、なんとなく華やいでいる。よいよい。それでよい。

 実際の話、20代から30代の女性の間で、静かではあるが、登山・ハイキングが人気なようで、山でもかなり見かけるようになった。僕の立場からすれば、それで、もっと本を読んでくれればと思っている。そうすれば、僕も、というか、業界ももっと華やぐ。

 コースは、六甲山では王道中の王道、阪急芦屋川駅から芦屋ロックガーデンを経て、最高峰、魚屋道で有馬温泉だ。

 グループの人数が多くなればなるほど、ペース配分が難しい。それぞれの経験量も違ってくればなおさらだ。たっぷり時間をかけて歩いたが、それでも、なかなか足並みがそろわない。

Img_7684s  懸念された雨もほとんど降らず、まあ、多くを望めばきりがないので、おおむねうまく行ったのではないか。本来なら通らない、ロックガーデンの万物相に案内すると、思いのほか喜んでもらえた。

Img_7740s  ところで、六甲最高峰の三角点を踏んで、有馬温泉下山後、ついに温泉に入った。有馬温泉には年に何度訪れるかわからないほどだが、面倒くさくもあり、しかもたいていは一人なので、まず温泉に入ることはない。今日は宮田さんを誘って入って帰った。

 なぜか。

 それは金の湯、銀の湯が無料だったからである。おかげで浴室は芋の子を洗うような状態であったが、それでも、山帰りに温泉に入るというのはやはりいい。しかし人間というのは現金なもので、無料と聞くと、得したというより、入らにゃ損という気がしてくるのだから不思議である。おいらが貧乏性なだけかも知れぬが。

Img_7760s  で、何で無料だったかというと、風吹岩にいたおっちゃんに聞いたのだが、どうやらインフルエンザ禍で集客がいまいちで、6月1日~5日まで、無料開放しているようだ。ついでながら、極楽寺横の太閤の湯殿館も入館無料であった。

 そんなわけで、4日、5日に山行きを予定している人、六甲山に行って、有馬温泉に降りよう!

 別に有馬の回し者ではありませんが…。

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2009年6月 2日 (火)

穴場の山、樫ヶ峰と社家郷山

 午前中、何やかやと事務所で用事をしていると、朝もハヨから、関西では屈指の沢ヤである吉岡章さんから電話。昼飯を一緒に食べんかという。もともと昼から山に出かけるつもりだったから、午前中に諸事を済ませ、天王寺でご飯を食べた。吉岡さんには、べったりというわけではないが、なんとなく、仕事抜きで仲良くしてもらっているのがありがたい。

 昼飯中もだらだらとしゃべり、その後、吉岡さん行き着け?の喫茶店で、さらにだらだらとおしゃべり。結局天王寺を出たのが2時前。地下鉄に飛び乗り、梅田に出て阪急に乗り換えて、西宮北口でまた乗り換え、逆瀬川駅に着いたのが3時前か。そこからバスに乗り、3時には歩き始めることができた。懸案であった樫ヶ峰である。

Img_7611s  この山、歩行時間は短いが、なかなかの穴場で、展望がよい。山頂手前の尾根からは甲山を足下に、阪神競馬場などもくっきりと見える。大阪湾もよく見えた。山頂付近は樹林帯の中だが、社家郷山に向かう尾根も展望がよい。で、前方になにやら気になる岩稜が北の逆瀬川に向かって延びている。尾根には筋が入っていて、どうやら道があるらしい。Img_7624s

 展望したところから、次のピークに登ると、道標があり、先ほどの岩稜を指して「キレット」と書かれている。うーん、気になる。気になるが、予定コースは社家郷山経由で南麓のキャンプ場に降りることにしている。

 縦走路をアップダウンしながら社家郷山まで行ったが、ここで荷物を置いて、キャンプ場に向けて行けるだけ行き、また、社家郷山に舞い戻った。で、件の道標まで引き返し、赤テープの巻かれた道を下っていった。

Img_7652s  キレットというほどのものではないが、まあまあ、楽しめた。しかし、岩質がかなりもろい。そこそこの注意が必要な道と言えた。しかし、あっという間に下りきってしまった。

 山椒は小粒でピリリと辛い。そんな山であった。穴場の山としては上出来だ。

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